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謎解きに音は必要ありません。
三日後に解体される、古い鐘楼。
鳴るはずのないその鐘の音を、昨夜、街中が聞いた。
なぜ鐘は鳴ったのか。調査は、あなたに任された。
わたしは探偵だ。
……とはいえ、普段扱っているのは浮気調査とか、会社のもめごとの後始末くらいのものだ。
時刻は午前8時半。町の駅前の再開発を仕切る明和地所、その最上階に呼び出されていた。
社長「朝早くから呼び立てて悪いね。実は、うちの工事現場でちょっと妙なことが起きててね。住民が騒いでて、こっちも困ってるんだ。それで……その調査を、君にお願いしたい」
わたし「妙なこと、というと?」
社長「鐘だよ。今月末に壊す予定の鐘楼があるんだけどね、そこの鐘が昨夜鳴ったらしいんだ。鳴るわけがないんだけど」
わたし「鳴るわけがない、というのは?」
社長「もう業者が手をつけてるんだよ。鳴らすための綱は外してあるし、鐘を打つ部分も金具で固定してある」
わたし「その鐘楼は、ここから遠いんですか?」
社長「いや、すぐそこだよ。……ちょっと、窓まで来てくれるかな。この高さなら、街がひととおり見える」
社長「駅前がここね。真向かいが市庁舎。そこから商店街をまっすぐ抜けて、橋を渡った先。川向こうの外れにあるのが鐘楼だよ。歩いて20分ってところかな」
わたし「街の端から端ですね」
社長「そう。その端から端まで音が届いたって言うんだよ。昨夜は街中が聞いてる。おかげで解体反対の連中がまた騒ぎ出してね」
壁の時計が、ちょうど九時を指した。そのとき窓の外で低い音がして、ざらついた弱い鐘の音がいくつも続いてから、やんだ。
わたし「……今のは」
社長「ああ、市庁舎の時報だよ。すぐそこだからよく聞こえる。屋上のスピーカーから、古い時の鐘の録音を、朝と晩の9時に流してるんだ」
わたし「録音ですか?」
社長「本物の鐘なんて、とっくに使ってないよ。この街の人間はみんなあれを聞いて育ってるからね。鳴っても気にも留めない」
わたし「なるほど。……住民に話を聞いて回っても構いませんか?」
社長「もちろん。ただ、あまり当てにしないほうがいいよ。数も時刻も、聞くたびに違うことを言うんだから」
社長「解体は5月31日。今日が28日だから、あと3日だ。それまでに収めてくれると助かる」
わたし「あと3日、ですか。……承知しました」
その足で現場へ向かった。街はずれに立つ古い鐘楼を、朝の光の下で見上げる。社長の言ったとおりだった。鳴らすための綱は外され、鐘を打つ棒——撞木も、金具でがっちり留められている。確かに、これでは鳴らない。
それなのに、昨夜は街中がその音を聞いたという。
わたし「……どういうことなんだ」
入口の扉を引くと、内側に紙が一枚貼ってあった。
点と線が13行、並んでいるだけ。意味はさっぱり分からない。とりあえず剥がして、手帳に挟んでおいた。
わたし「暗号か……? ここで睨んでても始まらないな。まずは、あの音を聞いた人たちに話を聞いて回るか」
そのまま、あの晩の音を聞いたという住民を、順に訪ねて回った。
わたし「すみません、例の鐘のことなんですけど。聞かれました?」
金物屋の主人「ああ、聞いた聞いた。いつもどおりだったよ」
わたし「いつもどおり、ですか。……数って、覚えてます?」
金物屋の主人「9つ。シャッターを下ろしながらだったけど、ちゃんと数えたよ。いつもの数だったから、そのまま店に引っ込んだ。……ていうか、あれ、そんなに騒ぐような音かね」
わたし「あの晩のこと、聞かせてもらえますか?」
若い母親「はい。最初に弱い音が鳴り始めて、そのあとすぐ強い音も混ざってきたんです。弱い音の合間に、強いのがひとつ、またひとつ、って感じで」
わたし「いくつまで数えました?」
若い母親「強いのと弱いの、全部合わせて15です。弱いほうが鳴りやんだところまでで……そこまでしか。この子が泣きだしちゃって」
わたし「この丘の上まで聞こえるものなんですか?」
隠居の老人「弱い音はここまで届かんよ。届くのは腹に響くやつだけだ」
わたし「その強いほうは、どんなふうに鳴りました?」
隠居の老人「ひとしきり鳴って、ふっとやんでな。しばらくしたら、また少し鳴って、それで終わりだ。数? そんなもん、数えとらんよ」
わたし「川を挟んでても聞こえるものですか?」
川向こうの夫人「ええ、よく聞こえましたよ。あの晩は眠れなくてね、最初から最後までずっと」
わたし「数まで覚えていますか?」
川向こうの夫人「全部数えましたよ。強いのと弱いの、合わせて18。弱いのが鳴りやんだあとに、強いのがまた戻ってきて、それでおしまい」
川向こうの夫人「……あの鐘ねえ。どうせ鳴るんなら、もう少し後にしてくれたらよかったのに」
わたし「後、というと?」
川向こうの夫人「解体の3日後に、そこの教会で式があるんですよ。そういう日にこそ鳴らしてやりたいじゃありませんか」
わたし「あの晩、通報とか入ってませんでした?」
巡査「ありましたよ。9時すぎに何件か。壊すはずの鐘が鳴ってるって。どれも9時ちょうどの、少しあとですね」
……一旦、状況を整理するか。
日が暮れてから、鐘楼の見える宿に部屋をとった。
机に聞き取り帳を広げる。
| 金物屋(市庁舎の前) | 9つ、確かに数えた。いつもの数なので店へ。騒ぐほどの音か、と |
| 母親(中間) | 弱が先、すぐ強も。弱の合間に強が聞こえ、弱が終わるまでで合わせて15 |
| 老人(丘の上) | 届くのは強いのだけ。鳴って、やんで、しばらくして、また少し。数は数えていない |
| 夫人(対岸) | 最初から最後まで全部で18。弱の列が終わったあと、強が戻って終わり |
| 巡査 | 通報はどれも9時ちょうどの少しあと |
わたし「さて。実際のところ、あの晩の鐘は何回鳴ったんだ」
聞いた話から、鐘楼が打った数を書き留める。
窓の外が白み始める頃、手帳の上で、ようやく数がひとつに揃った。
わたし「金物屋の9つは、市庁舎の時報だ。真ん前に住んでいれば、いちいち騒ぎもしない」
強く6つ、間をおいて、強く3つ。あの晩、鐘楼はそう打った。
わたし「風でも事故でもない。誰かが打ってる」
わたし「6と3。……誰に向けた合図なんだ」
手帳を閉じた。ここで睨んでいても、これ以上は出てこない。
わたし「夜が明けたら、もう一度あの鐘楼だな。……人が鳴らしたのなら、跡はあの塔の中に残ってるはずだ。一階から順に見ていくか」
朝いちばんで鐘楼へ向かった。
解体業者から鍵を借りて、一階の管理人室に入る。管理人の老人は留守らしい。
わたし「お邪魔します。……誰もいないか」
狭い部屋だった。机がひとつ、湯呑みがひとつ。壁ぎわの棚だけが、なぜか鍵で閉まっている。
わたし「棚に鍵、か。……失礼して、開けさせてもらおう」
中にあったのは、古い打鐘規程表——鐘をどう打つかを定めた表だった。
―=強打 ・=弱打
| 時の鐘 | ・・・…(刻の数だけ弱打) |
| 火急の鐘 | ――――――…(強打の連打、鳴り止まず) |
| 弔いの鐘 | ・ ・ ・(間を長く、弱く3打) |
| 祝いの鐘 | ―・・――(強、弱弱、強強) |
わたし「時の鐘は刻の数だけ弱く打つ……これだな。あの時報の放送は、この決まりを録音したものか」
わたし「じゃあ、強く6打と3打はどうだ。この表のどこにも無い打ち方だな」
わたし「こんな古い決まりを知ってるのは、この鐘楼をずっと守ってきた人間くらいだろうな。……管理人さんに、話を聞いてみるか」
昼過ぎにもう一度寄ると、管理人室に明かりがついていた。椅子に腰かけた老人が、こちらに気づいて顔を上げる。初めて会う人だ。
わたし「失礼します。解体の件で調べている者です。……少し、お話を伺えますか?」
管理人の老人「ああ、どうぞどうぞ。散らかってるけどね。お茶でも淹れようか」
わたし「おかまいなく。……例の晩、鐘が鳴ったそうですね」
管理人の老人「そう聞いてるよ。ただ、わたしは何も知らなくてねえ。この膝じゃ、上まで見に行くこともできんから」
わたし「この鐘楼の、入口の鍵は。いま何本ありますか?」
管理人の老人「一本きりだよ。わたしの分も、先月まとめて業者さんに預けてしまってね。合鍵? そんなもの作ったことがない」
わたし「一本きり、ですか。……鐘が鳴ったと聞いて、驚かれませんでしたか?」
管理人の老人「驚くかねえ。鳴ったのなら、よかったじゃないか。どうせもうすぐ、無くなってしまうんだから」
穏やかに笑って、それきりだった。否定もしないし、肯定もしない。
わたし「失礼を承知で……あなたのことも、調べさせてもらいます」
管理人の老人「かまわんよ。年寄りの一日は暇でね。ゆっくりしていきなさい」
それから、街を回った。分かったことを、手帳に書き留めていく。
わたし「塔に入れた人間がいない。それなのに、鐘は鳴った。……行き止まりだな」
最後にもう一人、現場に残っていた解体業者の監督をつかまえた。
わたし「誰も上っていないのに、鐘は鳴った。何か心当たり、ありませんか?」
現場監督「さあ……。ああ、そういえば——あの塔、昔は自動で鐘を撞く機械が入ってたそうですよ。前に担当してた人がそう言ってました。今どこにあるかまでは知りませんけど」
わたし「機械か。残ってるとしたら、まだこの塔のどこかだな」
現場監督が、解体用の実測図を貸してくれた。
実際に測って作った図面で、一階を真上から見たものだ。
わたし「塔の内側は6メートル四方。管理人室と階段を足しても、壁一枚ぶん、幅が余ってるな」
管理人室の壁を、隅から隅まで手で確かめていく。棚をずらすと、板壁の一枚だけ色が違った。継ぎ目をたどると、細い扉になっている。取っ手はなく、横に小さな真鍮の文字盤が埋め込まれていた。かな二文字を合わせる錠らしい。
わたし「取っ手も、鍵穴もない。……かなを二文字、合わせろということか」
扉の脇に、古い木札が一枚、釘で留めてある。すすけて黒いが、鐘の絵と、細かな彫りが読み取れる。
― 読みの表 ―
| 大一 | あ | い | う | え | ▨ |
| 大二 | か | き | く | け | こ |
| 大三 | さ | し | す | せ | そ |
| 大四 | た | ち | つ | て | と |
| 大五 | な | に | ぬ | ね | の |
| 大六 | は | ひ | ふ | へ | ほ |
| 大七 | ま | み | む | め | も |
| 小一 | 小二 | 小三 | 小四 | 小五 |
わたし「鐘の絵と、読みの表。……この二枚で、二文字を出せということだな」
木札を読み、扉の錠に合わせる二文字を入れる。
鐘楼の脇に立つ、古い石碑。子どもの数え歌が刻まれているのだが、ところどころ文字が読めない。
刻まれた文字だけでは、この歌を最後まで読むことができない。
わたしは商店街へ向かった。
わたし「鐘楼の脇の石碑、あの歌をご存じですか?」
八百屋のおかみ「知ってるも何も、子どもの頃はみんなで歌ったよ。ええと……むすめが まっているよ、ってところがあったね」
わたし「それは何番目の節でしたか?」
八百屋のおかみ「番号なんて覚えてないよ。歌ってただけだもの」
八百屋のおかみ「この辺の人間はね、数を数えるときいまだにあの歌なんだよ。ひとつ、ふたつって。子どもも年寄りも」
わたし「あの数え歌、覚えてらっしゃいますか?」
銭湯の主人「途中までならね。やまこえ こだまして、っていう節があったよ」
わたし「石碑の歌で、覚えている節はありますか?」
碁会所の常連「夜空の節だろう。よぞらに きらめく、ってやつだ」
わたし「何番目か、分かりますか?」
碁会所の常連「さあねえ。誰も番号までは覚えとらんよ」
三人の証言を聞き終える。聞いた断片は、どれも短い。
けれど、石碑に残っている文字と照らし合わせれば、欠けた部分を埋められそうだった。
指先で削り跡をなぞる。古く丸くなった欠け方とは違う。石の表面が、まだ新しい。
誰かが意図的に、この三文字だけを削った。
削り取られた3か所に、もともと刻まれていた文字。上から順に読むと。
管理人室に戻る。さっきまでは、ただの古い記録にしか見えなかった。だが、石碑から「日誌」という言葉を拾った今は違う。
わたしは棚の前に立ち、古い日誌を一冊ずつ調べ始めた。
わたし「きちんとした字だな。天気、点検、来訪者。毎日欠かさず書いてある」
最初は偶然だと思った。一冊。二冊。さらに別の年代をめくる。それでも、毎年きまって同じ一日だけが空いている。
破った跡ではない。書き忘れたようにも見えない。
わたし「その日だけ休んでるのか。何の日かは、どこにも書いてないな」
そのとき、棚の奥に一冊だけ妙なものを見つけた。ほかの日誌とは違う。背表紙に、名前も年代もない。
取り出してみると、革がひどく擦れている。何度も持ち歩かれ、何度も開かれた手帳だった。年に一度、決まった一日のところにだけ、短い書きつけがある。
わたし「日づけは書いてないな。年に一度だけ、何か書き残してる」
ページのあいだから、固い紙が一枚、膝の上に滑り落ちた。拾い上げる。色のあせた古い写真だった。鐘楼を背に、若い男女が寄り添って写っている。
わたし「若い夫婦、かな。……この背中の塔は、あの鐘楼だ」
わたし「隅に、かすれた日づけがあるな」
しばらく、その写真を眺めていた。それから手帳のあいだに戻して、棚を閉じる。
わたし「……そういえば、最初にここへ来たとき、扉の内側に紙が貼ってあったな。手帳に挟んだままだ。あれを、もう一度見てみるか」
手帳に挟んだままの、あの紙を机に広げる。
壁の向こうの隠し部屋。あの機械の正面に、真鍮の操作盤があった。隅に、古い手順の書き付けが挟んである。
| 一 | 左の盤にて月を、右の盤にて日を合はすべし |
| 二 | 順序盤の穴に、打つ順のとほりピンを差すべし 太きピンは強打、細きピンは弱打とす |
| 三 | 差すは打つ数のみ。残りの穴は空のままにて可 穴は九つ備へたれど、九つ打つには及ばず |
| 四 | 合はせ終へたるのち、予約を引くべし |
わたし「日付を合わせて、鳴らす順にピンを差す。差したとおりに、その日、鐘が鳴る」
わたし「かねをならして、か。……いつ、どの鐘を鳴らすのかまでは、どこにも書いてない。そこは、自分で決めろということか」
歯車が、ひとつ、深く噛んだ。腹に響くような低い音がして、それきり機械は静かになった。予約は、たしかに入った。六月三日、午後四時。祝いの鐘。
操作盤の真鍮に、裸電球の灯りが鈍く映っている。この機械は、これから一度だけ動く。鐘を鳴らして、それで終わる。
たった一度のために、誰かが油を差し、鑿をふるい、歌を削り、この暗号を扉に貼った。
わたし「……そういうことだったのか」
依頼は「原因を突き止めて、騒ぎを収めろ」だった。原因は、突き止めた。あとは報告するだけだ。ビルの最上階で、あの社長が待っている。
わたし「さて。……なんて報告したものかな」
ガラス張りの社長室は、街を見下ろして冷たく光っていた。あの鐘楼も、豆粒みたいに小さく見える。社長は書類から目も上げない。
社長「それで。原因は分かったのか」
わたし「……それが」
社長の顔を見る。わたしは、ゆっくり息を吐いた。
その日は、よく晴れた。鐘楼のそばの小さな教会に、親戚と近所の人たちが集まっている。つい先日まで取り壊しで揉めていた塔のことなど、今日ばかりは誰も口にしない。
重い扉が開いて、白い花嫁が石段に姿を見せた。式場の係が、名前を読み上げる。
——新婦、みおさん、ご入場です。
花嫁の少し後ろを、杖をついた老人が、ゆっくりと歩いていた。
そして、空の高いところで——